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この記事の要約

パンデミックによる未曽有の逆境下にある英国の技術大手、ロールス・ロイス・ホールディングスplcの「真の価値」を探求する本レポートでは、航空宇宙、パワーシステム、防衛といった主要事業の現状と将来展望、大規模な構造改革によるコスト削減、そして財務体質改善のための資産売却といった同社の取り組みを詳細に分析します。DCF法とマルチプル法を用いたバリュエーションを通じて企業価値を算出し、その結果に基づいた投資推奨を提示。現在の市場評価と将来的な潜在価値の差を明らかにし、逆境を乗り越え、真価を問われる同社の未来展望を掘り下げます。

目次

イントロダクション:航空宇宙巨人の苦闘と希望

英国が誇る技術の粋を集めた企業、ロールス・ロイス・ホールディングスplcは、航空宇宙、パワーシステム、防衛といった基幹産業において確固たる地位を築いてきました。しかし、近年の世界経済の激動、特に2020年初頭から世界中を席巻したパンデミックは、同社に未曽有の試練をもたらしました。

航空機エンジンの製造・保守を主軸とする同社にとって、旅客数の激減とそれに伴うフライト時間の減少は、収益の柱であるエンジン販売とアフターマーケットサービスの両方に壊滅的な打撃を与えたのです。かつて20%を超える営業利益率を誇ったアフターマーケットサービス「Total Care」パッケージからの収益も、飛行機が地上に留まる時間が増えるにつれて大幅に落ち込みました。

このレポートでは、こうした逆境下にあるロールス・ロイスの「真の価値」を探求します。過去数年の財務状況と、パンデミックからの回復過程、そして将来に向けた同社の戦略を詳細に分析し、最終的な企業価値評価に基づいた投資推奨を行います。

航空宇宙産業の回復への道筋:飛び立つ未来

ロールス・ロイスの収益の約半分を占めるのが、この民間航空(Civil Aerospace)部門です。この部門の売上は、新たに販売されるエンジン数、有効飛行時間(EFH)、そして長期サービス契約(LTSA)によって大きく左右されます。パンデミックはこれら全ての要素を直撃しました。

しかし、希望の兆しは見え始めています。アナリストの予測によれば、市場は2023年末までに2019年レベルに回復し、その後は安定した成長が見込まれています。特に、ロールス・ロイスのトレントXWBエンジンに関するエアバスとの2030年までの独占契約や、トレント1000(157基)、トレント7000(535基)、そして最新のパール700エンジンといった新規エンジンの受注残といった長期契約が、今後の収益成長を牽引するでしょう。

業界全体の航空機数の増加予測(2021年から2031年にかけて

CAGRとは

複合年間成長率(Compound Annual Growth Rate)の略称で、一定期間にわたる成長率を年率換算したものです。初期値から最終値までの期間の幾何平均成長率を示し、不規則な成長を平準化して比較するのに役立ちます。

年平均成長率2.5%)や、航空機エンジン

MROとは

メンテナンス、修理、オーバーホール(Maintenance, Repair, and Overhaul)の略称で、航空機やエンジンの保守、修理、点検、部品交換といった一連のサービスを指します。航空業界では、エンジン販売後のMROサービスが重要な収益源となります。

市場の成長予測(同3%)は、同社にとって追い風となります。ただし、同社の市場シェアは、現在の財務状況と労働力の削減を考慮すると、短期的には2019年、2020年と同じく12%で維持されると予測されています。

地理的な視点で見ると、2019年の収益に占める割合は米国が37%、アジア太平洋が30%、欧州が22%となっており、特にアジア市場の回復と同社が強固な地位を築く中国市場の成長は、今後の収益に大きく貢献すると期待されています。

A realistic photo showing a Rolls-Royce aircraft engine being serviced in a hangar. No text. Wide shot with depth of field.

多角化された事業ポートフォリオ:揺るぎない基盤

航空宇宙部門の苦境を支えるのが、パワーシステム部門と防衛部門です。パワーシステム部門はMTUやBergenenginsといったブランドを持ち、2020年には同社総収益の23%を占める27億ポンド以上の収益を上げ、1億7800万ポンドの利益を計上しました。特にマリーン(船舶)市場や発電システム市場で存在感を示しています。船舶市場はパンデミックの影響を受けつつも回復の兆しを見せており、新たな環境対応エンジン(MTU Series 500など)の開発も進められています。中国市場での強固な地位も、この部門の安定に寄与しています。

一方、防衛部門は政府契約に支えられた安定した収益源です。2020年においても収益は4%増加、営業利益は8%増加しました。軍事支出の増加傾向や、米空軍とのB-52H戦略爆撃機向けエンジン換装契約といった約26億ドルの大型案件は、今後の収益に明るい見通しを与えています。

かつて事業の一部であったITP Aeroは、バランスシートの改善を目的とした売却プログラムの一環として、約17億ポンドでBain Capitalへ売却される予定です。売却は2022年半ばに完了すると見込まれており、これにより一時的に収益は減少しますが、約17億ポンドの現金を得ることで、財務体質の抜本的な強化が期待されます。ただし、取引の条件によっては価格が変動したり、完了が遅れたりする不確実性も存在します。

A realistic photo showing engineers working on a power generation system in a large industrial facility. No text. Focus on technical details.

安定をもたらす株主構成と経営戦略:長期視点の追求

ロールス・ロイスの株式は、大部分を機関投資家が保有しています。2021年9月28日現在、上位15社で発行済み株式の50.92%を占めています。特筆すべきは、どの単一株主も10%未満の保有率に留まり、経営に対する絶対的な支配力を持つ者がいない点です。この分散した株主構成は、短期的な株価変動に左右されず、専門的な経営陣が長期的な視点に立って意思決定を行うことを可能にしています。

航空機エンジン市場のように、製品のサービス開始から投資回収までに長い期間を要する分野では、投資家の忍耐力が試されます。経営陣が外部からの干渉を受けずに事業を推進できるこの体制は、長期的な繁栄を維持する上で重要な要素となっています。過去数年(2016-2020)の主要株主の保有状況を見ても、多くの機関投資家は持ち分を大きく変動させておらず、長期保有の意向がうかがえます。

また、取締役会メンバーによる継続的な自社株購入も確認されており、これは経営陣が会社の将来に対して前向きな姿勢を持っていることの表れと言えるでしょう。一方で、機関投資家の一つであるCauseway Capital Managementは、取締役会の多様性不足に懸念を示し、新たなメンバーの参画を提言しています。

A realistic photo showing an old British stock certificate of Rolls-Royce with historical buildings in the background. No text. Soft lighting.

再建に向けた構造改革と財務改善:未来への布石

2016年の損失以降、そしてパンデミックの直撃を受け、ロールス・ロイスは大規模な構造改革プログラムを敢行しました。その核心は人員削減であり、2020年半ばまでに5,500人の削減を達成し、年間最大4億ポンドのコスト削減を目指しました。パンデミックによりこの動きは加速され、ワークフォースは52,000人から43,000人にまで削減され、特に民間航空部門と中央機能で影響が出ました。総コスト削減目標は2022年末までに13億ポンドに達すると見込まれています。

このリストラプログラムの効果を測るため、アナリストは成功シナリオと失敗シナリオを検討しました。成功シナリオでは、

COGSとは

売上原価(Cost of Goods Sold)の略称で、販売された商品やサービスの製造または仕入れに直接かかった費用の合計です。売上からCOGSを差し引くと売上総利益(Gross Profit)が計算されます。

や費用が減少する一方で、失敗シナリオでは過去のトレンドを踏襲すると仮定しました。2021年上半期の財務情報は、売上総利益率が21%、営業利益率が5.9%と改善傾向を示しており、構造改革が順調に進んでいることを示唆しているため、アナリストは成功シナリオに近いベースシナリオを採用しています。

コスト分解を見ると、民間航空部門では、労働費削減により商業・管理費および研究開発費が収益比率でそれぞれ6%から3%、9%から4%へと減少すると予測されています。全体の支出は10%削減される見込みです。COGSは収益の89%と依然高い比率ですが、これもリストラによりわずかに改善しています。パワーシステム部門と防衛部門のコストは、過去の比率とほぼ同水準で安定的に推移すると見られています。

一方で、パンデミックを乗り切るために大幅に増加した債務も、喫緊の課題です。2016年の34億ポンドから2020年には総額73億ポンドに達しました。この高水準の債務は、金利負担として収益性を圧迫し、利益率に影響を与えています。ITP Aeroの売却による現金収入や、計画されているその他の資産売却により、この負債レベルを削減し、バランスシートを強化することが同社の最優先事項となっています。比較可能な企業の平均

D/E比率とは

有利子負債(Debt)を株主資本(Equity)で割った比率です。企業の財務レバレッジ(負債への依存度)を示し、一般的にこの比率が高いほど財務リスクが高いと見なされます。ロールス・ロイスの2020年のD/E比率は0.73で、比較企業平均0.43より高いことが示されています。

(有利子負債/株主資本)比率0.43と比較しても、同社の0.73は高く、財務体質の改善が求められています。

バリュエーションに見る潜在価値:開かれる未来

ロールス・ロイスの価値を評価するため、本レポートでは主に二つの手法を用いました。一つは将来キャッシュフローを割引いて企業価値を算出する

DCF法とは

企業が将来生み出すと予想されるキャッシュフローを、適切な割引率(通常はWACC)で現在価値に割り引いて合計し、企業価値を計算する方法です。企業の固有の状況や将来予測を細かく織り込めるため、理論的に最も整合性の高い企業価値評価手法とされます。

(DCF)法、もう一つは同業他社との比較に基づく

EV/EBITDAマルチプル法とは

企業の事業価値(EV:有利子負債と時価総額の合計)を、利払い・税金・減価償却費等控除前利益(EBITDA)で割った倍率を計算し、これを同業他社の平均的な倍率と比較して対象企業の事業価値を評価する方法です。企業の稼ぐ力を示すEBITDAを基準にするため、異なる資本構成や減価償却方法の企業間での比較に適しています。

マルチプル(EV/EBITDA)法です。

DCF法による分析では、ベースシナリオ(市場回復は2023年末)に基づき、企業価値は約237.2億ポンド、一株当たり価値は237.15ペンスと算出されました。この結果は、特に将来の成長率に対して高い感応度を示すことが分かりました。わずか+/-5%の成長率の変化が、一株当たり価値を-115ペンスまたは+180ペンスも変動させるほどです。

バリュエーションに用いる割引率である

WACCとは

加重平均資本コスト(Weighted Average Cost of Capital)の略称で、企業が資金調達にかかるコストを計算する際に用いられます。株主資本コストと負債コストを、それぞれの企業価値に占める割合で加重平均したもので、DCF法では将来キャッシュフローを現在価値に割り引く際の割引率として使われます。

(加重平均資本コスト)は6.12%と算出されました。これは、

CAPMとは

資本資産価格モデル(Capital Asset Pricing Model)の略称で、個別資産のリスクと期待収益率の関係を示すモデルです。リスク資産の期待収益率は、無リスク資産の利子率に、リスクの大きさを示すベータ値と市場ポートフォリオの期待収益率から無リスク資産の利子率を差し引いた値(市場リスクプレミアム)を乗じたものを加えることで計算されます。

(資本資産価格モデル)に基づき、英国10年国債利回り(無リスク金利)、アズワス・ダモダラン氏推計の市場リスクプレミアム5.31%、そして

Betaとは

ベータ値は、個別資産の価格変動が市場全体の価格変動に対してどの程度敏感かを示す指標です。市場全体の動きに対してベータ値が1より大きければ、その資産は市場平均よりリスクが高く、1より小さければリスクが低いと見なされます。ロールス・ロイスのベータ値は、航空宇宙市場平均よりも高いことが示されています。

値1.23(ターゲットD/E比率で調整済み、MSCI世界指数と比較して算出)を用いて株主資本コストを6.30%と計算し、それに債務コスト(Ba3格付け、デフォルト確率9.35%、回収率60%を考慮して算出)5.91%を、それぞれの資本構成比率で加重平均したものです。高水準の債務と低い信用格付けが、比較的高いWACCにつながっています。

継続価値は、2030年以降の実質成長率0.5%(年間の名目成長率3.5%から英国の想定インフレ率3%を差し引いた値)を用いて算出しました。この0.5%という数値は、予測される平均GDP成長率2.9%よりも保守的な値です。

配当については、2020年に財務危機により停止しましたが、2024年からは歴史的な水準である一株当たり11.7ペンスでの支払いが再開されると予測しています。

一方、同業他社(Raytheon Technologies, General Electric, Honeywell)の2020年の平均EV/EBITDA倍率15.1倍を適用したマルチプル法では、一株当たり価値は283.7ペンスと算出されました。EV/EBITDA法はP/E法と異なり、企業の資本構成や減価償却方法の違いに影響されにくく、事業そのものの収益性を反映するため、比較分析に適した手法と言えます。

結論:未来への提言とリスク

DCF法とマルチプル法のどちらのバリュエーション手法を用いても、ロールス・ロイスの株価は現在の水準(117.14ペンス、2021年12月15日-16日時点)から大幅に上昇する可能性を示唆しています。DCF法によるターゲット価格237.15ペンスは、現在の株価の102%高にあたります。

特に、長期的な視点で将来の収益やコスト構造の変化を織り込めるDCF法は、技術革新や経済環境の変動が大きい現在の状況下で、より有用な評価手法と言えます。航空宇宙産業は高い研究開発コストが参入障壁となり、新たな競合が現れにくいという特性も考慮に入れるべきでしょう。

同社は強力な機関投資家に支えられ、長期的な経営戦略を追求できる体制にあります。人員削減を含む構造改革は財務体質の改善に貢献し、ITP Aeroの売却は債務削減とバランスシート強化に繋がります。

しかし、その価値評価が世界経済の回復、特に航空産業の回復に大きく依存している点は、投資家にとって重要な留意点です。マクロ経済の変動に対する脆弱性は依然として存在します。それでもなお、主要市場でのリーダーシップ、進行中の構造改革、そして取締役会メンバーの強いコミットメントは、同社の将来に対するアナリストの自信を深めるものです。

結論として、ロールス・ロイスは過去数年の困難を乗り越え、その真価を発揮するための道を歩み始めています。長期的な視点に立てば、現在の株価は同社の持つ潜在力に対して過小評価されている可能性が高いと判断でき、「Buy(買い)」を推奨します。

よくある質問

パンデミックはロールス・ロイスの事業にどのような影響を与えましたか?

パンデミックにより、特に民間航空部門が壊滅的な打撃を受けました。旅客数の激減とフライト時間の減少により、収益の柱であるエンジン販売やアフターマーケットサービスからの収入が大幅に落ち込みました。

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